隅家

本とか音楽とか

夏目漱石 『虞美人草』

 私は漱石を敬愛してやまない。作家を名乗り、不遜にも文学の冠を一点の留保もなしに戴く輩は数あれど、漱石の文章に並び立つ才気は、少なくともそれを超えるような才気は未だ私の前には現れていないと信じている。漱石の文学の最大の魅力は知と俗の併存だ。難解な、とりわけ現代人たる我々にとってはいっそう難解な語彙の数々が、しかし文章としては平易な形で我々の前に差し出される。深い洞察を散りばめた表現の数々が、テーマとしては身近な全体を創りあげる。それゆえに時代を隔て、ともすれば部分的に言語さえも隔てた言葉たちが依然生き生きとして手の平の紙片から飛び出してくるのである。私はその中に漱石という人間を見る。知識人としての余裕を、あるいは嘆きを。鋭い人間観察の片鱗を。そしてそれら全てを創作の中に敢えて葬り超然と構える漱石自身の姿を。私にとって『虞美人草』は『こころ』に並び立つ名作であった。

 おそらく、外面上『虞美人草』の最大の特徴は、その軽快な会話文の数々にあると言えるだろう。第三者的な描写を挟まない鉤括弧の連続が全編を通じて作品の根幹を成している。その中身はどちらかと言えばある種の言葉遊びに近く、明確な知に支えられた軽妙な言葉の応酬がそこでは繰り広げられている。こういった趣は『三四郎』のような作品にも見受けられたように思うが、『虞美人草』においてはより極端である。場面によっては見開き2ページの半分以上が登場人物らの短文による会話の応酬に割かれている。そこでの余白の多さは、日頃からの小難しい表現の咀嚼に疲れた一部の読者家たちにとっては安心極まりない空白であろうが、その余白をなぞり終えればすぐに活字と文字世界の洪水に我々は飲み込まれることになる。とりわけ『虞美人草』において散見されたのは抽象世界を行き来しながら場面の展開を描写する技法である。登場人物たちの掛け合いは往々にして二階の表現によって比喩される。ひとたび人物が比喩を受けたか思うと、続く文章ではその人物はもう固有名詞ではなくまさにその比喩によって獲得された抽象世界の一般名詞として表現されている。名前を持った人物らの行動を追いかけていたつもりが、いつの間にか存在しない抽象世界での出来事を解釈する形に変わっている。しかしそこには混乱ではなくむしろ一定の明晰さが備わっているのである。見かけ上難解に見えるその表現たちも、正しく比喩表現らを紐解けば『虞美人草』世界の現実で起こっている繊細な感情の動きや会話の微妙なニュアンスをより精緻に理解するための足がかりとなる。それはひとえに比喩の巧みさ、「比喩」たるものの本分の遺憾なき発揮、つまるところ、私が冒頭で賞賛したような文才に由来しているだろう。再び断っておくのだが、私は漱石を敬愛してやまない。無論それは私が漱石の思想に全面的に共感する理由には僅かたりともなりえない上、むしろ好ましく思っているからこそ、漱石が描き出すテーマに対しては常に最大の批判をもって臨むべきだと思い、実際そうしているが、しかしこと文章の洗練という観点については私はただ漱石に脱帽するばかりである。以下に、私が『虞美人草』の中でもとりわけ好きな一連の文章を引用させていただく。

 

 水底の藻は、暗い所に漂うて、白帆行く岸辺に日のあたることを知らぬ。右に揺こうが、左りに靡こうが嬲るは波である。唯その時々に逆らわなければ済む。馴れては波も気にならぬ。波は何物ぞと考える暇もない。何故波がつらく己れに当たるかは無論問題には上らぬ。上ったところで改良は出来ぬ。只運命が暗い所に生えていろと云う。そこで生えている。只運命が朝な夕なに動けと云う。だから動いている。——小野さんは水底の藻であった。

 

 諦観と達観の入り混じった現実の受容がただ波に揺られる藻の姿に喩えられている。その境遇をつらいとは思うのだが、水底の藻は岸辺に日が差していることを元より知らない。暗いところしか知らずに、ここは、生とは、そういうものなのだとただ身を委ねている。敢えて「水底の藻」に比喩を託す感性もさることながら、むしろここでは文章全体を通して「運命」の語が独特のニュアンスを持って重たくのしかかっている点が見事に思う。一連の文章の終盤に登場する「運命」の語がただちに「水底」の語と共鳴し合いながら読みを後押しする。「そこで生えている」「だから動いている」という印象的な表現を経て、最後にこれら「水底の藻」の比喩が小野さんという一人の男の元へ帰せられる。これにより以降、「藻」という言葉、そして水底の世界は固有に小野さんを導く表現となる。さらに注目すべきは文章としてのリズムの良さだ。短文を差し込むタイミングが絶妙である上、そうでない箇所も堅い言葉遣いでありながら、一方で不要な重たさがない。無理にあれこれの付加情報を載せようとする文章は必ず語呂が悪くなる。文章を切り分けすぎた短文の羅列は単調になる。ここでは読みのリズムが乱されることなく、気づけば小野さんの元まで読みが辿り着いている。その手腕は鮮やかである。

 

 さて、小野さんという登場人物が現れたところで内容について話をしようと思う。『虞美人草』とは、本当に一言でまとめてしまえば恋愛群像劇である。しかし恋愛とは言っても、そこからすぐさま連想されるようなロマンスは影を潜めていると言っていいだろう。『虞美人草』ではそのイデア的側面より、恋愛の現実的側面にいっそうスポットが当たっている。詰まるところ、『虞美人草』で描かれる恋愛というのは、誰と結婚「すべきか」といった、実利的な部分を前面に押したものである。無論群像劇であるゆえ、純真な恋心も正しく存在し、また場面によってはそのいじらしい姿を我々は垣間見ることができるのだが、しかし総じて評するのならやはり『虞美人草』における恋愛とは損得といった観点と深く結びついたものである。そのために『坊ちゃん』に見られるような勧善懲悪的な雰囲気もまたあり、したがって話の展開自体は俗っぽい方向へと流れてもいくのだが、その辺りの楽しみ方は人それぞれだろう。私は基本的に話の内容はあくまで舞台設定的な意味合いしかなく、作品の真の楽しみはその最低限の舞台設定の中でどのような言葉が用いられているか、あるいはどのようなテーマが暗に描き出されているかという点にあると思っているため、正直に言うと話の展開そのものは殆どどうだっていい。したがって私はここで話の内容に特段踏み込んで語るのでも、小野さんや藤尾の人物像に分け入るのでもなく、また糸子や小夜のいじらしき姿を語るのでもなく、ただ甲野さんと宗近君の話がしたい。

 

 甲野さんがいなければ私が『虞美人草』をここまで好きになることはなかった、ということは事実である。その透徹した眼差しで他人の心の底を見通し、時に善良を、時に悪意を見出しながら、それらを殊更大仰に取り立てるでもなく無言の底へと打ち棄り、ただその深い洞察の中で悠然と浮き世を見下ろす「立ちん坊」の哲学者、甲野さんとはそういう人物である。成程真に聡明な者ほど物言わなくなるのだろうが、こと小説という形でその人間を見れば、物言わぬというまさにそのことさえ好意に通ずる訳である。甲野さんと宗近君の会話が『虞美人草』で一番好きだ、という読者も少なくないのではないだろうか。再三言っているように、私が『虞美人草』において見出した真価はその文章、表現の巧妙にある。話の展開を重視しないことも既に述べたが、一方で個々の場面というものはやはり「物語」としては無視できないだろう。漱石の文章が知と俗の併存だと言うのなら、その感想にも俗は必要に違いない。そういう訳で、私は敢えてここで甲野さんと宗近君の名を出すのである。宗近君とは甲野さんの友だ。そして甲野さんとは宗近君の友だ。快活で、呑気で、明け透けで陽気な宗近君は甲野さんの友である。甲野さんは物言わない。「宗近の方が小野より母さんを大事にします」、物言ぬ甲野さんは宗近君の友である。

 

「金時計も廃せ」

「うん、廃そう」

 

 多く語るつもりはない。これ以上何かを語ろうとすれば『虞美人草』全てを引用することになる。ただ、私は友情を最も美しい情だと思っている。愛と違って、そこには欲望が混ざらない。技を尽くし、知に支えられた文章が漱石の魅力だ。一方で漱石は知識人としての梯子を降り、大衆に向けて物語を発している。『三四郎』や『虞美人草』ではとりわけ人物間の構図に拘った描写をしている箇所が散見される。それは実に漱石の拘りである。そうして舞台設定に拘ったからこそ、何と言うこともない、ほんの一行、一文が、その表面以上の感慨をもってこちらを揺さぶることがある。

 

この時宗近君の大きな丸い眼から涙がぽたぽたと机の上のレオパルジに落ちた。

 

 

Neil Young『After the Gold Rush』

 

 いくつか記事を書いたが、おそらく僕の記事に最も多く登場した名前がニール・ヤングだと思う。名を出した回数は間違いなく好意の量に正比例しているはずだが、実を言うとニール・ヤングについて僕はそれほど詳しくはない。どんな生涯を送ったかは勿論知らないし、その曲についてもたぶん半分も知らないと思う。正直に言うと顔でさえ『Comes A Time』のアルバムを買ってそのジャケットを見るまで知らなかったぐらいだ。作品と作者は切り離すべきだという信念はたしかに僕が奉じているところではあるが、それすらおそらく後付けだろう。結局良い作品というのはそれだけで良い。だからどんな人間がそれを創ったかなんて僕はいつも気にならないし、むしろ何も知らずに勝手にこっちの空想を押しつけておく方が楽しいような気もする。

 しかしそれはともかくとして、僕はニール・ヤングという人物のことは好きらしい。少なくともアルバム『After the Gold Rush』は珠玉の冠を戴くに相応しい名盤だ。

 

 これを書くのも一度目ではないと思うのだが、そもそも僕とニール・ヤングの出会いはCrosby Stills Nash&Youngのアルバム『Deja Vu』においてだった。最後のYoungというのがニール・ヤングのことだ。はじめに作品と作者は〜という話をした手前、これはかなり言いづらいのだが、この『Deja Vu』に収録されている僕の最大のお気に入り、『Helpless』が、どうやらニール・ヤングの手になるものらしかった。そういうわけで、以来レコードショップに行くたびに僕はニール・ヤングの名を探すようになり、要するに『After the Gold Rush』と出会ったのもまた、そうした経緯を踏まえてのことだった。迷わず購入を決め、帰って早速相棒のウォークマンに取り込んで聴いていたのが今から1ヶ月か2ヶ月前の話だ。それからというもの、ウォークマンを開いて『After the Gold Rush』の再生ボタンに指が伸びないことは殆どない。

 

 なぜそんなに好きなのかということは上手く表現できる気がしない。敢えて言うなら『After the Gold Rush』にあるのは郷愁の音色だ。懐古の味は何故だかいつも酔うほど甘い。『After the Gold Rush』は僕を、目の前の世界よりも美しい記憶の世界へと連れて行ってくれる。ニールヤングの郷に何が広がっていたのかは果たして知らないが、それはおそらく僕の郷でもある。田んぼとか風とか雲の音があって、一瞬懐かしいような気がする。けれどそれらは水面に写った景色の音で「ゴールドラッシュのあと」となってはどうしたって少し寂しい。僕はいつも新緑のような哀しさをこのアルバムに感じる。

 上手く言葉にならないから代わりに『After the Gold Rush』の話をしよう。別に謎々ではない。『After the Gold Rush』はアルバム名である以前に曲名でもある。アルバムの2曲目に収録されている曲こそがアルバム名のまさに由来である『After the Gold Rush』となっている。それなりに多くこのアルバムを聴き込んできたが、なぜこの1曲が、アルバムを代表するこの1曲が、全体の2番目に置かれているのかということが未だに僕の中にある疑問だ。聴いてみると分かるが『After the Gold Rush』は明らかに終わりの曲である。イントロのピアノから既に若干の物悲しさが醸されている。尤もそれは悲哀というよりは、寂しさと微笑を足してそのまま割らないでおいたような音色ではあるのだが、しかし仮にアルバムの最後にこの曲が流れてそのまま終わりと言われても納得がいくような曲調ではある。少なくとも、もし僕がこのアルバムの曲たちを自由に配列していいと言われたらまず間違いなくこの曲を全体の2番目には置かないと思う。表題曲にするほどなら尚更だ。

 たしかに、アルバム『After the Gold Rush』はそれ自体、なにか終わりの雰囲気を感じさせる調子の曲が多く収録されているから、そうした空気感全てを象徴させる1曲として、これを始めの方に持ってきているという解釈はアリだと思う。というか、まさにその解釈が僕が色々と考えて出したとりあえずの結論でもある。正直1曲目の『Tell Me Why』が終わって『After the Gold Rush』が始まる瞬間にはいつも多少の驚きがある。『Tell Me Why』がアルバム始めの1曲として優しく、聴き心地が良いだけに、最後のアコースティックギター(?)の僅かな余韻の後で『After the Gold Rush』のイントロのピアノが流れ出した時には、今開いた世界がもう閉じようとしているかのようで、思わずランダム再生でもしているんじゃないかと疑ってしまうほどだ。

 結局、2曲目『After the Gold Rush』の良さはアルバム全てを聴き終わってから分かるのかもしれない。大仰な表現をすると、アルバム『After the Gold Rush』は終わりの曲と始まりの曲が交互に繰り返されることで構成されている。聴いていて何度も「あ、この曲で最後か」と思わされる。しかしその次には「いや、これから始まるのだ」と言わんばかりの曲が流れ出す。そうやって繰り返して進むごとにそれぞれの曲が切ない思い出と楽しい明日の色彩を併せ持つようになってくる。そうやって前後ろが溶け合ったあとで「ゴールドラッシュのあと」さえ僕は振り返って眺めている。それはたしかに少し、光を放っている。

 尤も、実際はアルバムの曲順に大した意味はないのかもしれない。そもそも僕は歌詞の9割も理解していないし、はじめにも言ったようにニール・ヤングのことは殆ど知らない。ついでに言うなら当時の洋楽シーンの慣習なんかも知らないし、だから案外アルバムの曲順に深い理由はないのかもしれない。しかし何も知らないからこそ、聞こえてくる音だけであれこれと空想してみるのはこれで結構楽しかったりもする。少なくとも、僕にとっての『After the Gold Rush』は僕だけのものでもいい。

 

 本当に名曲ぞろいのアルバムだが、よく印象に残っている曲が8曲目の『Birds』だ。例に漏れず歌詞の意味はあまり分かっていないのだが、印象的に響く「It's over...」には無性に胸が狭くなる。いつかは今日の僕さえも過ぎ去った過去になる。そのとき懐古は、変わらず美しいだろうか。いつかの僕が振り返る今日の僕が、せめて美しくあればいいと思う。

遠藤周作 『海と毒薬』『留学』『沈黙』

 初めて読んだ遠藤周作の作品が『沈黙』だった。『海と毒薬』を最初に読むべきだったと反省している。というのも、『海と毒薬』は私の中で『沈黙』に対する一つの解答編の形を成していたからである。

 自分が読んだ『海と毒薬』の解説には、この作品と『留学』『沈黙』を一種の三部作として読む方針が示唆されていた。私は結果的には『沈黙』→『海と毒薬』→『留学』という順番で読んだのだが、これらが一種の三部作であるという意見については全く同意であるため、本記事ではこれら三作をまとめて扱いたいと思う。

 

 当初『沈黙』という作品がそれほど深く響かなかったのは、そこで語られているテーマに一歩踏み込み切れない感覚があったからであった。ごく表面的に取れば『沈黙』で主として描かれているのは信仰と現実との矛盾、あるいは苦悩、葛藤であり、「沈黙」の語は分かりやすくは「神の沈黙」という事態を述べた語となっている。しかし構成上むしろ目を引くのは、終盤近くで登場する「日本という土地で基督教は根付かない」という主旨の発言である。ここでは『沈黙』が、たんに信仰上の葛藤を題材とした作品ではなく、こと日本という舞台に特別の焦点を当てた作品であることが示唆されている。つまり、『沈黙』は仮に全く同じシナリオであったとしても、その舞台が日本でないのなら成り立たない訳である。これを意識したとき、この作品に対して多少の混乱が起こる。この混乱については正直、『海と毒薬』『留学』を経てその正体を言語化できたのだが、一言で表すとそれは『沈黙』のテーマがまばらであるという印象に尽きるだろう。(尤も、『沈黙』が単体で完成されていないなどと言うつもりはない。たんに私が『海と毒薬』『留学』の助けを借りねば『沈黙』を十分に味わうことができなかったというだけの話である。)

 表面的には信仰上の苦悩を描いた『沈黙』であるが、物語中ではこの日本という土地に対する語りも幾度か登場する。そこで当然我々の視線も土地そのものへと向けられてゆくのだが、しかし我々が『沈黙』において観測するのは、あくまで異邦人たる潜伏司祭の内面であり、それは日本を外から客観する立場にある。我々は『沈黙』で日本という土地に踏み込んでゆくのにこの異国の潜伏司祭の目を借りねばならず、したがって完全に「日本」の内側には入らせてもらえない。しかし神や宗教の不在というテーマを通じて「日本」を描き出すつもりであれば、他ならぬ「日本人」の描写は中心に据えられて然るべきだろう。異国出身の潜伏司祭がその中心にいるのであれば、「日本」はあくまで神を持たぬ土地としてのみ対象化され、「神の沈黙」という宗教的葛藤へ物語を運ぶための道具と化してしまう。しかし、やはり『沈黙』で描かれている内容がそのようなごく分かり易いテーマに留まっているとは考え難いのである。

 

 こうした事情に対しての解答編こそ、『海と毒薬』であった。『海と毒薬』では紛れもなく我々日本人が持つ一つの顔が描かれている。もちろん中盤の「おやじ」が手術に失敗する場面の緊迫感や、戸田の冷笑的でどこか人間的な語りも読み過ごせない箇所ではある。しかしそこで最も露わに描かれているのは、何か巨大なうねりの中にぽつねんと立つ日本人の姿だろう。

 選択肢というものは得てして期限付きであることが多い。決断を渋るうちに一方の選択は最早選ぶことが出来なくなってしまい、選択を保留したつもりで問題を消極的な一択に変えてしまう。そして我々は、時に半意図的にそうした保留を行う。この身を押し流そうとするうねりの中で、ことさら否定も肯定もしない間に、この身は流れの中に投じられている。私が『海と毒薬』に見たのはそうした日本人の姿だ。限られた状況を我が身に反射させながらも、一方で是も非もないような態度でうねりに身を任せるともなく任せる。これはたんに受け身であるとか、ノーを言えないとか、そうした話ではない。言わばこの巨大なうねりとの付き合いは我々日本人なりの哲学であり、少なくとも遠藤周作は『海と毒薬』の中で、うねりの中にあって寄る辺を持たない、あるいは持とうとしない日本人の姿を見せたのである。

 『海と毒薬』では既に「神」の語が登場している。先に書いたような日本人の姿を、遠藤周作が「神の不在」という事態と結びつけていたことは間違いないだろう。そして尚注目すべきは、『海と毒薬』では、この「神」はごく象徴的な意味を持って登場している点である。『海と毒薬』で言われている「神」とは、自らをどこかへ運んでいってくれる存在のことであり、先の喩えに沿えばこの「神」とは、うねりの中で自らに往くべき道を示してくれる存在、あるいはうねりの中からこの身を掬い出してくれる存在のことである。勝呂が解剖実験に参加する運びになったのは、結局彼がこの「神」を失っていたからであった。

 ここまで分かれば、「神」を失ってうねりに委ねられた勝呂の姿が日本人全体へと拡張され、「神」がキリスト教の中で具体化されてゆく流れは自然であるように思われる。これまでの内容を踏まえて一度『海と毒薬』→『沈黙』の流れを整理してみよう。

 まず『海と毒薬』で描かれていたのは、巨大なうねりの中を、流れるともなく流れる空(くう)的な日本人の姿であった。そのような没意志的な日本人の有り様が、自らをどこかへ運んでいってくれる「神」の不在に起因していることもまた『海と毒薬』で示唆されている。すると今度は、なぜ勝呂にとって——つまり日本人にとってという意味だが——「神」が不在であるのかという疑問が生じてくる。『沈黙』はこの疑問に対して、土地が原因だという答え方をしていると言えるだろう。無論、この土地とはたんに地理的なものではなく歴史的延長を孕んだ土地のことである。すなわち、既に「神」が根付くことのなかった日本という土地に、もう「神」が根付くことはない、もっとあからさまな言い方をすれば、一度キリスト教が根付かなかった日本で、キリスト教が根付くことはもうないのだということが『沈黙』で言われている。尤も、これが何一つ実質のある言ではないことは明らかだろう。第一にこれは国が先か人が先かというややこしい問題に踏み込んでいるし、そもそもかつて根付かなかったから今回も根付かないという主張は何の意味も為していない。なぜかつては根付かなかったのかという疑問を再び呈すれば、自ずと「日本人」に対する分析は必要となるだろう。

 しかしこれらの点にこそ、一種の宗教観が現れているような印象もしなくはない。あるいは遠藤周作は「海」という物理的な障害を原因の一つとして暗に仄めかしていたのかもしれないが、ともあれ歴史の先行性という考え方が姿を見せていることははっきりしているのではないだろうか。簡単な話をすれば、もし私がキリスト教を奉ずる家系に生まれていたとすれば、今私はキリスト教の信者であった可能性が高い。もし私が日本よりずっとキリスト教の盛んなヨーロッパの国で敬虔な親を持って生まれたとしたらその可能性はさらに高い。既に根付いていないから根付かないという答えは中々本質的でもある。なぜ歴史の中で宗教が流行る地域と流行らない地域があったのかという問題は既に文学者が答えるべき範囲を超えているだろう。そもそも歴史という偶然性の巣窟の中ではキリスト教が現在のような一大宗教へと発展しなかった可能性自体十分にあるのだから、全ての歴史の経緯に必然性を求めるのは土台ナンセンスな話でもある。ともかく、私が生まれた現代日本の一家庭には宗教は存在しておらず、また私はいかなる宗教も奉じていない。しかし、もしこれが信仰盛んなヨーロッパの家庭であればそうはならなかったかもしれない。ここには既に「私」という個人の意志を超越して、あるいは先立って、無自覚のうちに「私」個人を支配する環境の存在が認められる。『留学』との関連の中で後にも触れるが、『沈黙』において遠藤周作が、前生命的、先天的に存在する「土地」に目を向けていたことは間違いないだろう。必然の因果の中で「日本人」を描くことへの限界から、『沈黙』では日本という土地が一種不可解な歴史的不透明性を備えて登場してくる。日本人が神を不在化させるのではなく日本が神を不在化させる。その日本で生まれてくる日本人は当然神を持たない存在だ。『沈黙』が異邦人の目を通して描かれたこと自体が、既に「神の不在」問題に関連した遠藤周作の関心が個人の内面から離れていることを語っている。『沈黙』は、たんに信仰にまつわる葛藤を描いた物語ではなく、神を不在化させてしまう日本という土地の、あるいは歴史の、得体の知れない窪みを描いた物語でもある。『海と毒薬』で示された「神なき日本人」の謎は、その窪みの中へと投じられ、畳み込まれている。

 

 『沈黙』は「異邦人」が「日本」の中で信仰を失う(「失う」という表現は結果論的ではあるが)物語である。それを裏付けるように、『留学』では「異国」の中の「日本人」が描かれている。『留学』と『沈黙』は対照的な構図を持った作品だ。

 とりわけ第二章『留学生』は『沈黙』との関連性を考える上で非常に重要に思われる。『留学生』は最早『沈黙』のプロトタイプと言っても差し支えがないだろう。ほぼ唯一であり、同時に最も重大な違いこそ、日本の地で信仰に転ぶキリスト教信者が『留学生』では他ならぬ日本人であるという点である。『沈黙』において感じた日本人の内面描写への欲求はある意味『留学』において既に満たされていたわけである。だからこそ『沈黙』において主役が異邦人へと変わった点は、やはり遠藤周作自身が自らの関心に取り組もうとした際に「人」より「土地」や「歴史」を重視したためであるといっそう思われる。『留学生』の内容に関しては第一章『ルーアンの夏』と合わせて考えると分かり易い。日本人たる荒木にとって、日本にキリスト教を布教するという大義は決して自然な願望ではない。それはキリスト教と歴史を共にした人々の願望であり、荒木にとっては押し付けられた期待でしかない。「宣教師たちは信徒たちに殉教の夢を強いている」と荒木は考える。宣教師たちは「殉教だけが今は神につながる道」だと考えている。しかし信仰をそのように変質させるのはやはりこの、日本という土地なのである。すぐ後に荒木は考える。「そんな苛酷な道しか信仰にないのか」。当時の日本においては信仰を果たす手段は殉教しかなかった。やがては荒木自身も転ぶこととなる。しかし荒木が信仰を貫けなかったのは果たして彼自身のせいなのか。あるいは苛酷な信仰しか許容しなかったその土地がためなのだろうか。この問いには答えはない。なぜなら実際荒木はキリストと歴史を共有しなかった日本人であり、布教の夢に沸き立っていた異邦人ではないからだ。それゆえその答えは『沈黙』において示されることとなる。日本への布教を志すセバスチャン・ロドリゴが辿る命運にその答えがある。

 『留学』は特異な構成をしている。その文章量から言っても最も重要であるのは第三章『爾も、また』だろう。宗教的な言い回しを連想させる題ではあるが、実際の物語中では宗教は主題から外されている。しかし先にも書いたようにこれは『沈黙』と対照的な作品である。外国文学者である田中は留学先のパリでの生活の中でヨーロッパが持つ歴史の重さに絶望する。石造りの街が象徴的な意味を兼ねて立ちはだかり、ルビーの言葉が何度もリフレインする。「君がなぜサドをやるのか分からん」。留学をしてみたところで結局田中はパリに生まれ育った人間ではない。その土地が持つ歴史を、環境を、どうやっても自らの血肉とすることができない。

 ここでは『海と毒薬』と『沈黙』を合わせて扱っているから、いっそこの『留学』を『沈黙』への下準備として解釈してみたい。『沈黙』において「日本」という土地へ目が向けられることは再三書いた。『海と毒薬』において後にキリスト教として具体化される「神」が象徴的に導入されていたように、『留学』においても、後に日本として具体化される「土地」が象徴的に導入されている。布教の夢を持って日本を訪れた潜伏司祭の姿はそのまま、研究の前進を願ってパリを訪れた外国文学者の姿である。日本人たる田中は、本当の意味でサドを、彼の文学を理解することはできない。「九官鳥」の揶揄を受けて、劣者の自覚に耐えながら真摯に異国の歴史と向き合おうとし、それでも結局は病に冒される。仮に健康を損なわずとも、異国に同質化しようとした者の惨めな末路は、既に小原や藤堂によって示されている。一方で巧みに異国から目を逸らし、器用にそれと付き合う連中は結局は無難な成功をおさめる。異邦人はその国の人間になることはできない。まして国を変えることもできない。田中は異邦人ながら真剣に異国と向き合おうとして志を折った。セバスチャン・ロドリゴは国を変えようとして信仰に転んだ。どちらも異国の土地に不相応に踏み込もうとして飲み込まれたのだ。

 

 歴史が変えられないように、歴史の厚みが凝集された土地を変えることもまた、できないのだろう。異邦人はいつまでも異邦人であり、その土地を自らの色に染めることはできない。この神がいない土地で依然日本人は生まれ続ける。結局この日本から神を追いやったものは何だったのだろう。あるいはやはり、海が阻んだのだろうか。

 

リルケ 『マルテの手記』

 とっくの昔に死んだ作家の本を読むことが多い。これは完全な偏見だが、時の洗練を受けてなお残ってきた文学というものには、まさにそのことのゆえに、一定の価値が備わっているように思うからだ。現代作家に明るくない人間を果たして読書家と呼べるのかはさておき、こうした読書癖には少なくとも一つ利点がある。それは、長らく評価され版を重ねてきた作品は古本屋に並びやすいという事実である。

 『マルテの手記』は前々から読みたいと思っていた作品の一つだったのだが、先日古本市に出掛けた際に150円で売られていたのを見てついに購入した。カバーは汚れていたが、いつも外して読む自分からすればもはや関係のない話だし、年季を経てややざらついた紙の感触はむしろ本としての価値を高めてさえいる。とっくに死んだ作家の文章は目に痛い白の中ではなく、やつれた黄ばみの中でこそ輝くものだろう。少なくとも、『マルテの手記』のような作品を自分と同い年の紙では読みたくないというものだ。

 

 リルケという人物については全く詳しくない。『マルテの手記』読了後、解説を読んで多少はその生涯を知ったものの、本作品を読んでいた最中にリルケについて持っていた知識は、せいぜいオーストリアの詩人、といった程度の知識である。詩人である以上、その本領はまとまった物語としての作品よりも詩集等により色濃く表れるのかもしれないが、一方で、リルケの名を知る人の大多数が真っ先に思い浮かべる作品はやはり『マルテの手記』ではないだろうか。少なくとも私は『マルテの手記』以外ににリルケの作品の名を挙げられないし、言ってしまえば、リルケと『マルテの手記』はコインの裏表のように私の中で一体化している。そしてその認識は実際そこまで実像から離れてもいないのではないだろうか。少なくとも私は、『マルテの手記』という作品を通して、とっくの昔に生まれて、今から約100年前に死んだリルケという人物に触れたような気がした。加えてその印象について語っておくなら、リルケ、そして『マルテの手記』は私好みだ。そこで描き出されているテーマにしてもそうであるし、邦訳から伝えられる(原語で読めないことがいっそう悔やまれる)語彙の巧みさ、文章表現の深遠をとってもそうである。

 

 「手記」の形容に相応しく、『マルテの手記』という作品には一本化されたシナリオというものが存在しない。パリで暮らす青年マルテの言い知れぬ孤独を滲ませた日常、時系列のばらばらな過去の追想、ふとした記述を端緒に語られる、美術品やはるか昔を生きた人物に対する独特な解釈、そしてそれら全体を貫いて節々で挟まれるおよそ観念的な物事に対する洞察、こうしたものたちが『マルテの手記』の構成要素である。文章作品の楽しみ方は十色であって良いと思うが、こと『マルテの手記』に関していうなら、物語の展開を楽しもうとするだけの姿勢ではちょっと作品を味わいきれない印象を受ける。どうしても時代の違い、風土の違い、伝統の違い、あるいは言語の違いが妨げとなって理解しきれない部分が目立つが、それらは決してアポリア的な難題ではなく、理解しきれなくともなお紐解く価値のあるエッセンスである筈だ。様々の言葉遣いや、文章が間接的に表象するテーマの深みの中に『マルテの手記』の真価があるように思う。

 

 私は文章を読む遅さに少し自信がある。どうにも物事の筋道を線で捉えるということが苦手らしく、要点をかいつまみながら、展開の濃い部分は集中して読む、という要領の良い読み方ができない。全体から見れば不要な細部に必要以上にこだわり、何気ないと呼んで差し支えない表現でいちいち足踏みしてしまう。文庫本のページを一枚捲るまでに何分もかけてしまうようなこともしばしばである。 

 『マルテの手記』に関して言うなら、これまで読んだ本の中でもかなり上位に入るくらい読み切るのに時間がかかった。おそらく、ほぼ全ての文章を2回ずつは読んだのではないだろうか。訳が幾分古かったことから見慣れない語彙が多かったこともあるが、それ以上に一つ一つの文章が意味するところを明確に解するのに時間がかかった、ということもある。折角だから今手元で開いた箇所から引用してみよう。

 

 空気の一つ一つの成分の中には確かにある恐ろしいものが潜んでいる。呼吸するたびに、それが透明な空気といっしょに吸いこまれ——吸いこまれたものは体の中に沈澱し、凝固し、器官と器官の間に鋭角な幾何学的図形のようなものを作ってゆくらしい。刑場や拷問部屋や癲狂院や手術室など、あるいはまた晩秋の橋桁の下などから醸された苦痛な恐怖感は、あくまで執拗にまといつき、どこまでもしみこみ、すべての存在を嫉妬するかのように、その恐ろしい現実に執着して離れない。しかし、人間は、できるだけそんなものを早く忘れてしまいたいのだ。(大山定一訳『マルテの手記』(新潮社,1973))

 

 別にここに引用した箇所に特別のこだわりは一切ない。好きな箇所なら他にいくらでもある。しかし、『マルテの手記』の語調を伝える目的の上ではこれ程何気ない方がむしろ良いだろう。

 「透明な」の形容は「ある恐ろしいもの」の「潜伏」に呼応している。「沈澱」や「器官」の訳ははじめの「成分」の表現から考えて敢えて文全体に化学的な気質を与えるためだろう。「ある恐ろしいもの」の身体への侵入が客観的なプロセスとして語られるわけである。しかし何か漠然とした恐怖感が体の内に蓄積し自身を苛む感覚を、器官と器官の間に凝固した「鋭角な幾何学的図形」の語で続けて表現している点は見過ごせない。続く箇所の、刑場〜手術室は直接的に死や苦痛を連想させる語であるが、最後の「晩秋の橋桁の下」は終わりというものと、終わりゆくことへの痛ましい恐怖感をもっと観念的に連想させてくる。それらが自らのうちに巣食って離れない感覚を「すべての存在への嫉妬」として喩えている点が結構好みだ。ある苦痛な感覚が意志をもってこちらの意識にしがみついて離れようとしない感じを否定的なニュアンスを含ませながら表現したい時に、「すべての存在に嫉妬しているようだ」とはちょっと思いつかない。

 こうした、表現や単語の組み合わせの妙が訳特有の堅さの中で折り挟まれ、時にそれらがひどく観念的な物事について遠回しに言及しながら、一方で、ストーリーと呼べる明確な筋道も示されないものだから、中々読み進めていくのに時間がかかったというわけである。以下内容。

 

 『マルテの手記』を読み出して初めの数ページで、一度読むのを止めた。それはその数ページだけで『マルテの手記』に漂う死の雰囲気を多分に感じ取ったからである。前に何かの記事で書いた気がするが、私は物語の中に苦悩と死を大いに求める。我々に普遍に降りかかる死を直視し、その事態を考え抜いて初めて、何か意味のある芸術表現が湧き出てくるのではないかと思うからだ。死を見つめるということは生を見つめるということでもある。生が見つめられていない文章は、ただ空想の中でだけ価値を持つ娯楽だろう。

 とは言え、世に名作と評される作品の中では、死の気配を感じ取ることができないものの方が少ない。どれだけ押し殺されていようとも、ふとした文章の隅に虚無の気配は滲み出しているものである。その上でなお私が『マルテの手記』の冒頭から特別の印象を受けたのは、本来隙を見せた慎みの奥から静かにこちらを覗くべき死と孤独の気配が、しかしいっさい隠されようともされていなかったからである。自分が自分から遠く離れ、昏い、薄ら寒い底へと落ちてゆくような漠然とした生への不安、その足元に茫漠とした影を落とす絶対の死に対する恐怖、畏怖。死を恐れながらその偉大さに対して努めて敬礼したく思う気持ちと、もはやその尊厳さえ失われつつある機械化した生の型に対する隔絶、詰まるところの孤独。これらが僅か数ページの中で隠されることなくありありと描かれている。

 

 死と孤独は近いところにある。生は世界との関わりの中でしか完結され得ないが、死はただ自らの内だけで完結される。誰もが死の瞬間には自分とたった一人で向き合わなくてはいけない。そこでは支えにしてきた人も、応援してくれる人も何の意味もなさない。彼らは死の現場に立ち入ることを許されていない。そこに踏み込むことができるのは他でもない死の当事者だけだ。だから我々は死の瞬間、必然孤独になる。誰の力も借りずに、自分の力だけでそこに立って自分と向き合わなくてはいけない。

 

 人々は生きるためにこの都会へ集まって来るらしい。しかし、僕はむしろ、ここではみんなが死んでゆくとしか思えないのだ。

 

 『マルテの手記』 の書き出しの一文である。我々は明日を生きるために今日を生きる。しかしそれを続けた果てには何があるのだろうか。マルテの目には始めから、生きゆく者は死にゆく者として映っている。死にゆく者は本性的に孤独だ。マルテが見る世界では、誰もが世界から切り離され一人ぼっちになってゆく。「僕は恐ろしい」とマルテは語る。マルテが恐れているものは何であろう。いずれ死にゆくことが恐いのだろうか。それとも、自らが一人ぼっちでこの世界に投げ出されていることが恐いのだろうか。マルテが恐れているものの一つが生者であることは間違いない。本来個人の内的世界の中で下されるべき尊厳ある死が、外の世界に放り出されて処理されてゆく。人々はただ巨大な流れの中で生者としてのみ生き、やがて訪れる死を機械的に受け入れて死ぬ。彼らは専ら生きゆく者であって、死にゆく者としての顔を持たない。死はもはや「私」の出来事ではなくなって「世界」の出来事として一様化されている。マルテにはそれが不気味なのだ。

 無論、マルテが死を恐れていることも間違いはないだろう。彼はパリでいくつかの死を目にする。マルテは突発的な痙攣に襲われる老人を街で見かける。その老人は手に持っていた杖を背中に押し当てながら痛ましく、必死にその痙攣を隠そうとする。しかし押し殺した死の痙攣は老人の体のうちで膨れ上がり、ついには堰が壊れたように老人の体を激しく打ちゆらして彼を殺す。路上の真ん中で、世界に対して言い訳をしようとする努力も虚しく、死に全身を支配されて激しく痙攣し続ける老人の姿にマルテは打ちのめされる。

 

 それからはもう僕はどこへ歩いてゆく意味も失ってしまった。僕の体は空っぽみたいだった。

 

 今や死はこんな風にやって来るのだ。「昔はそうでなかった」とマルテは思う。「「死」をみんなが持っていたのだ」と思う。マルテが死に抱く感情はたんなる恐怖ではなく畏怖の類だ。死の瞬間、屹立してそれと向き合うことをマルテは望んでいる。マルテの祖父、老侍従ブリッゲの死は少なくともそういう死であった。義娘の死に追い出されるように死んでいった祖母フラウの死は、ついぞそれを叶えることができない死であった。父の心臓が穿たれる瞬間をマルテは目に焼き付け、お辞儀をした。母は考えることが苦手なりに、懸命に向き合おうとしていた。それでも時々、死の恐怖に押し潰されてしまうようだった。しかし、今マルテの目に映っている街は、生きるためにやって来る者たちに満ちた街は、誰も死と向き合わない街なのだ。路上の老人を唐突に死がうち捉えたように、じっくり向き合ういとますらなく死が降りかかる。そしてそのことに何の疑問も持たない生者の街の中で、マルテはいっそう孤独になってゆく。果ての孤独とは、如何なるものだろう。それは恐らく、自分自身さえも自分から離れてしまうという孤独だ。誰もが顔の見えない他人となり、そして自らさえも、素顔の分からぬ他人と化す。自分すら、他人。そういう孤独を、たしかにマルテは経験したことがあったのだ。始めは手だった。テーブルの下に落とした赤鉛筆を探る幼い日の自分の手が、自分を離れて動き出すのだった。次は鏡だった。仮面を着け、鏡に映った自らの姿が、その未知の存在が、自分という存在をなくしてしまう。「僕」は「僕」ではなく「彼」になり、消え失せた僕という存在がただ仮面の下で涙を流すのだった。

 

 初めにも書いたように、『マルテの手記』には雑多な過去の回想が詰め込まれている。しかしマルテの意識が自らの内側、すなわち自身の過去へと向かうことは必然のことなのだ。マルテは死を恐れる。それでも健気に死を見つめ返そうとし、過去を、生を見つめる。死にゆく者として生きるから、生者の街には居場所がない。自らを鼓舞するように死の恐怖に耐えながら、しかしついに耐えかねて夜半にベッドに起き上がる。

 

 生きることが大切だ。とにかく、生きることが何より大切だ。

 

 死の恐怖を前にして、マルテはいじらしく勇気を振り絞る子供のように無力で惨めだ。パリで暮らす孤独な青年作家の日々はどうしたって悲痛に映る。しかしそこでだけ、私はマルテと、リルケと通じ合える様な気がしている。楽しく生きていつの間にか死んでしまえるなら結構だろう。しかし考えてしまうというなら、それと向き合うしかない。微塵の優しさもない葛藤の中で、私たちは結局孤独な人種なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒトリエ

 あんまり寝れなかったものだから夜中の3時にウォークマンの電源を入れて音楽を聴いていたらいつの間にか朝7時になっていた。はじめは最近購入したIndigo la EndのアルバムとCrosby, Stills & NashのGreatest Hits(こちらは先週発見したレコードショップで見つけた掘り出し物だ)を順々に聴いていたのだが、ふと邦楽のプレイリストをまとめていなかったことを思い出してこれまで聴いた邦楽の中でも特別好きなものたちを一つにまとめる作業に没頭していた。現在CDを購入してウォークマンに取り込んでいる分だけでも2000曲ほどあるのでこれには中々骨が折れたが、途中途中吟味を交えつつプレイリストをまとめていく内に懐かしい曲たちとも再会ししばし思い出に浸ることができた。

 

 ヒトリエというバンドはおそらく思春期の延長の鬱の最中にあったかつての僕を支え続けてくれたバンドの一つだ。正直その時期に盲目的に聴きすぎたせいか最近ではあまり聴かなくなっていたのだけれど、こうして振り返ってみるとやはり良いものは良いし、好きなものは好きらしい。

 「ワンミーツハー」という曲が僕とヒトリエとの出会いの曲になる。当時流行り出していたハイトーン系のヴォーカルをさらに一段上へと引き上げたところに、摂取過多気味に技巧的なフレーズを織り交ぜてとにかくお洒落カッコイイ感を出したバンド、というのが「ワンミーツハー」を聴いて抱いたヒトリエの第一印象だ。正直何言っているのか初見ではとても分からない歌詞も相まって異常に尖ったバンドとしてヒトリエは認識されたわけだが、一方でこの「ワンミーツハー」自体は当時の僕の性癖にしっかり突き刺さり定期的にリピートされることになる。

 

 次にヒトリエに出会ったのはそれからしばらく経ったのちのことだ。そして、その日は僕が本格的にヒトリエにハマった日でもある。場所がブックオフであったのは間違いないが、制服を着ていた記憶もあるから学校がある日だったのだと思う。まったく恥ずかしい話なのだが、当時の僕には異常な寝坊癖があり(おかげで身長は随分伸びた)、そこに担任の類い稀ない無頓着が合わさることで、昼休みから登校することがなぜか暗黙に了解されている時期が存在した。そんな日の中途半端に空いた午前の時間を潰す場所は大体駅前のマクドナルドかブックオフに限られていて、詰まるところヒトリエの「リトルクライベイビー」ともそこで出会ったのだった。

 これは後になって知ることだが、当時のヒトリエはアルバム『IKI』をリリースしたばかりの頃で、その宣伝の意味合いか、ブックオフ店内で新曲「リトルクライベイビー」が流れていたらしい。僕はどこへ行くにも基本的にイヤホンをしていて、外出時間の9割は周囲の音から切り離されていたから、この時僕の耳が「リトルクライベイビー」を捉えたのは今思えば結構な奇跡である。聴こえてきてからすぐにいい曲だと思い、必死に耳を澄まして聞こえてきた歌詞をスマホ検索エンジンに打ち込むことで漸く曲名に辿り着いた。「ワンミーツハー」の段階ではヒトリエは個体認識されていなかったのだが、この「リトルクライベイビー」もまたヒトリエの曲で、しかも新曲ということを知り、いよいよ僕も自らヒトリエというバンドに触れていこうという気になったのである。それだけに「リトルクライベイビー」は僕にとって本当の意味での出会いの曲であり、いつまでも大切な一曲だ。

 

 それからいっぱしのヒトリエファンになるまでは1ヶ月とかからなかったと思う。YouTubeにあがっていたアルバムトレーラーなどを聴きながら好きな曲を増やしていき、ついでに当時の僕からすれば非常な大枚と勇気をはたいて、たった1人で『IKI』のライブにも申し込んだ。ヒトリエのヴォーカルがボーカロイド界隈で有名だったwowakaであるということを知ったのもその時期である。

 

 少し脱線するが、僕ほど雑食な音楽好きもそういないのではないかと思っている。ウォークマンを開けばビートルズのアルバム『1』にヒトリエのアルバム『4』が続き、さらにビリージョエルの『52nd Street』、サカナクションの『834.194』、Guianoの『A』、Abhi The Nomadの『Abhi vs The Universe』、U2の『Achtung Baby』と続いていく。いま挙げたアーティストのジャンルだけでも両立している人は少なそうだが(僕はこれらを等しく愛している)、さらにスライドしていけばモダンジャズやクラシック、フォークロックにEDM、挙句映画やゲームのサウンドトラックにfuture bassのアルバムまで出てくるのだから、これはもう雑食代表を名乗る驕りも許されるというものだろう。

 してみるとボーカロイドというジャンルも当然僕の守備範囲内なわけだ。とは言え、はじめからこのジャンルが好きだったのでないことは正直に言っておかねばならない。むしろ僕はその機械音声ゆえにボーカロイドというジャンルを嫌悪していた。打ち込みだからこそ通常の演奏ではとて出来ないような技巧的なフレーズを入れ込んだり、息継ぎの無茶苦茶なメロディーを可能にしたりするのだ、という魅力に気づいたのはずっと後になってからである。今では、インターネットを温床としながら生まれたボーカロイド界隈の曲の歌詞やサウンドには独特のものがあると感じるし、その魅力の程は米津玄師やYOASOBIが日本の音楽シーンを一時席巻した事実が証明していると思う。

 

 大分話が脇道にそれたが、とにかく当時の僕はボーカロイドというものが好きではなかった。その頃身近にボーカロイドをよく聴く人がいて、ノイローゼ気味に聴かされたおかげでこの「嫌い」には余計拍車がかかったのだが、一方で、散々聴かされた中で少しは好きな曲があったのも事実である。そういうわけで僕がほぼ唯一と言っていいレベルで認めていたボーカロイドの楽曲が、「天ノ弱」と「ワールズエンド・ダンスホール」であった。

 さて、ヒトリエにハマる中でそのヴォーカルが元ボーカロイドPのwowakaであることを知ったことまでは書いた。僕は昔聴いたボーカロイドの楽曲の制作者の名前なんて覚えていなかったが、wowakaの名前まで辿り着けば半ば自動的に「ワールズエンド・ダンスホール」にも辿り着く。この時に僕の中にあった2つの好きが交わったのだった。それからのヒトリエへのハマり様は、実際に行ってきた『IKI』のライブツアーの影響も大いにあってそれは凄まじいものだった。

 

 折角だからライブの話をしておこう。楽しみにしていたライブであったが、滅多に行くことのない東京新宿へとたった一人で電車を乗り継ぎ、人生初のライブハウスに足を踏み入れる当日の僕の心細さは我ながら不憫なほどであった。会場に着いてからもステージ前の人だかりには萎縮するわ、半ばパニックになってワンドリンクの意味が分からなくなるわでそれはもう大変だった記憶がある。なんとか会場後方の階段上だっただろうか、小高いエリアを陣取ることはできたものの(人の量に萎縮して後ろの方になってしまったが、ほぼど真ん中の、遮られることなく舞台が直視できる位置だったのでこれには満足している)、場所が取れてホッとしたのも束の間、手に持っていたドリンクを右隣の女性の足元へ結構な勢いでぶちまけた時には危うく涙まで溢れそうになった。露骨に迷惑がる女性に謝りながら反対隣の男性に「何かティッシュとか拭くもの持ってないですか」と半泣きで縋ったことは多分一生忘れない。一緒になって床を拭いてくれた優しい彼にどうか幸あれ。

 そんなこんなで折角のライブを目前に心を俯けてしまった僕だったが、ひとたびライブが始まるとすぐにその音の中に呑み込まれた。怖いぐらいに腹の底に響くドラムの音と、爆音と称するに相応しいライブハウスの反響にもほんの一瞬で慣れてしまい、いつの間にか僕はカラダを失って何かその辺を漂う意識になっているのだった。知っている曲の歌詞を頭の中で再生しながら、距離近いなとか、ベースの人全然喋らんなとか、なぜかそんなようなことをぼんやり考えていた。「リトルクライベイビー」も最高だったけれど、その時に初めて聴いた「カラノワレモノ」はどうしたって泣きたくなるぐらい沁みた。僕のすぐ前だか後ろだかに光線を出す機械みたいなのがあって、そこから出ていた緑の光をよく覚えている。今でも「カラノワレモノ」を聴くとあの緑の光線が見える時がある。僕は淋しいのに淋しいと分からない高校生で、だからヒトリエが好きだったのだと思う。MCの時にwowakaさんが言っていたことを何となく覚えている。「みんな俺と同じなんだなって、愛されたいんだなって」、みたいな内容だった。別に愛されたいとかじゃないって思ったけど、今思えば僕はやっぱり愛されたかっただけだ。

 

 当時好んで聴いていた曲を挙げ出すとキリがない。シャッタードール、トーキーダンス、深夜0時、ボートマン、バスタブと夢遊、アンチテーゼ・ジャンクガール、サブリミナル・ワンステップ、アレとコレと女の子、輪郭、フユノ、後天症のバックビート、インパーフェクション、イヴステッパー、終着点、ゴーストロール、N/A、MIRROR、アイマイ・アンドミー、なぜなぜ、NONSENSE、るらるら、5カウントハロー、センスレス・ワンダー、sister judy→モンタージュガール、、、。ほぼ全曲を最低でも20回ずつは聴いていたはずだ。特別のお気に入りは3桁を超えるぐらい聴いていたと思う。

 当時は「癖になる後ろ向きなカッコよさ」に惹かれてヒトリエを聴いていたからメロディーにばかり目がいってしまっていたけど、今振り返ってみると意外としんみりした曲の方が好きだったりする。「SLEEPWALK」が発表された時には流石にシビれてもうずっと聴いていた。一時期は「SLEEPWALK」と「RIVER FOG, CHOCOLATE BUTTERFLY」で一生ループしていた気がする。「SLEEPWALK」、というか、アルバム『HOWLS』はヒトリエの新天地を見せてくれたと思う。そこには何か今までにない音楽性のようなものが感じられた。疾走感と音の細やかさ、どこかスレたメロディーと歌詞、そうして形作られたカッコよさをほんの少しだけ離れて、孤独への寄り添いのような愛と哀しさが込められていたように思う。ヒトリエは進化し続けていた。僕はもっとその音楽が聴きたかった。

 僕の趣味も昔とはかなり変わって、今では「青」や「目眩」、「SLEEPWALK」なんかがお気に入りだ。もちろん「リトルクライベイビー」もよく聴いているし、「ボートマン」や「ゴーストロール」はギターが好きすぎてたまに無性に聴きたくなる。ただやっぱり昔より聴く回数は減った。ヒトリエは僕の中で思い出に変わろうとしているのかもしれない。しかしどれだけ聴く回数が減ろうと昔と同じように僕がヒトリエを愛することに変わりはないだろう。

 

 あくる四月には少し泣いた。けれど夜にはちゃんと眠れた。なぜだか今思う方が泣けてくる。どこか後ろ向きな曲が多いヒトリエだが、たまに、本当にたまに、明るさとポジティブに振り切ったような曲を出すことがあった。思えば「リトルクライベイビー」もその手の曲だったわけだが、同じようにプラスに振り抜いた曲に「ポラリス」という曲がある。

「忘れられるはずもないけど 君の声を聞かせてほしくて」

 どうにも別れの曲に聴こえてしまうのはあんまり感情を乗せすぎだろうか。同じく「ポラリス」の歌詞の中に僕がヒトリエの中で一番好きな歌詞がある。折角だから結びに代えさせてもらおう。

 

「出会いの数は1つで良い。君がそこにいさえすればいい。」

 

The Beatles 『Rubber Soul』

 

 

 以前友人と音楽の話で盛り上がったことがある。当時電車を数時間乗り継いで大学まで通っていたその友人は、すでに3年が経過していた毎日の登下校の時間全てを音の摂取に捧げていたらしい。国内外を問わず多様なアーティストの曲を聴き込み、音楽専用機と化した古い携帯の容量64GB全てを音楽データで埋めた彼の引き出しは流石に凄まじく、またそこへの知識のしまわれ方はどこか学問的でさえあった。聞いたところによると、初めはビルボードだかCDの売り上げだかのランキングを頼りに年代ごとの名曲を聴いていたのだが、次第にそれぞれの音楽ジャンルの歴史やルーツ、バンド同士の相互関係が気になり出して、枝分かれ的に知識が増えていった結果、その音楽マッピングが徐々に立体性を帯びてきたらしい。正直に言うと、その時僕はその友人の話しぶりに思わず、何か敬意のようなものを抱いたのだった。思えば他人に敬意を抱いたことなどその一回限りかもしれない。「出会い」を神聖化し、探求を怠っていた僕が洋楽の「お勉強」を始めたのはこういう理由である。

 

 八帖の下宿先にパソコンを広げ、相棒のウォークマンに『Rubber Soul』を取り込んだ時には、それから数週間が経っていた。趣味嗜好によってやや歪まされていたものの、その時には僕も多少は知識を増やし、また風情を解する豊かさも育んでいた。ただ一方で、直接的に僕と『Rubber Soul』を結びつけていたのは一人の素晴らしい友人ではなく、僕が当時好んで読んでいた作家、村上春樹であったことには触れておきたい。村上春樹の小説には様々の音楽が登場するが、中でもビートルズが登場する作品は多い。代表作の一つである『ノルウェイの森』はその題自体が『Norwegian Wood』の和訳となっているし、作中人物である「レイコさん」が弾き語る曲の多くは『Rubber Soul』に収録されている。『ドライブ・マイ・カー』や『32歳のデイトリッパー』なんていう作品もあった筈だ。また『ラバー・ソウル』の名は、僕の愛する初期三部作が二作目、『1973年のピンボール』にも登場している。してみると、ある時期を越えた段階でもう、僕と『Rubber Soul』との出会いはいずれの先の運命として決定されていたわけである。

 

 僕が持っている『Rubber Soul』は国内盤のものだ。背ラベルの片一方にでかでかと「ザ・ビートルズ ラバー・ソウル」の字が書かれているのはあまりにセンスに欠けていて気に食わないが、アルバム全体と曲一つ一つに解説が付されていることは何とも有り難く、また素晴らしい。

 

 さて、解説は国内盤にお任せできても感想は自分で語るしかない。だが実を言うと、僕はもう何度も聴いているにも関わらず『Rubber Soul』の収録曲全てを諳んじることができない。

 僕はアルバムというCDの形式を好むが、優れたアルバムというものは「飛ばせないアルバム」ではないかと思っている。これは自身の経験則でもあるが、大抵の場合、たとえ好きなアーティストのアルバムであったとしても、その中の1、2曲ぐらいはそこまで響かなかったりするものだ。どうあれ好みというものは存在するわけだし、後に控える好みの曲のために多少自らを焦らすような気持ちで前の曲を聴くこともあれば、好みの曲だけを選び取るように飛ばし飛ばし聴いてしまうこともある。

 何も『Rubber Soul』の曲全てが名曲であるのだと言いたいわけではない。いや、ビートルズそのものの偉業から考えて、それら全てが名曲であることは間違いないのだが、僕個人に限った話をすれば、その全てが僕史上最高級の名曲、というわけではない。それでも僕が『Rubber Soul』を飛ばすことができないのはきっと、僕にとって『Rubber Soul』が幾つかの曲の集まりではなく、既に一つの曲であるからだ。『Rubber Soul』という一曲を飛ばし飛ばしに聴くような趣味は僕にはない。

 

 愛すべき国内盤の解説によると、この『Rubber Soul』ではそれまでのサウンドが一新され、ちょっとした音楽性の転換が為されているらしい。僕はコードとか演奏技法とか様式とかビートルズの歴史とか、そういったものを詳しく知らないから、やはり聴いたままの印象で語るしかない。

 ビートルズの音にはどこか心地の良い軽快さがある。耳にのしかかるような重厚ではなく、それは海のさざめきに似た音の跳ねだ。海というのは中々どうして、僕が持つイメージを言い表している。春夏秋冬で言うなら夏、それも縁側と入道雲が作り出す日本的な茹だりと郷愁の夏ではなく、潮と砂浜と窓辺が持つ陽気な、それでいて始まりと終わりが幾重にも重なった夏のイメージをその軽快さの中に感じる。もちろん単に底の抜けた明るさばかりがあるわけではない。ある曲はむしろ秋に近い、月に近くて夜に近い。しかしそれは詰まるところ懐古の一瞥であって寂寞の虜囚ではないのだ。海辺を車で走る、窓を下ろして風に触れる、少しサングラスを持ち上げて鼻唄、それにしても暑い…。『Rubber Soul』はそんな夏のイメージの中に煙草的な懐古が畳み込まれている。軽快なサウンドに時々、じんとくる、しかし悲痛とはまるで異なる思い出の味が挟まれる。ほんのいっとき惜しむ素振りをして、次にはまた鼻唄に戻っている…。やはり僕にとって『Rubber Soul』は一つの曲だ。

 

 そうは言っても、好きな曲のサビばかり繰り返して聴いてしまうように、僕も『Rubber Soul』の中に好きな部分を持ってしまっているのは事実だ。特別のお気に入りは7曲目の『Michelle』と10曲目の『In My Life』。『In My Life』の方は前にCSN&Yの記事で少し触れたと思う。多分だけれど、僕の洋楽の趣味は結構分かりやすい。いかんせんこの手の曲に弱いらしい。『In My Life』の方はイントロで既に好きだと確信していたのだが、有り難いことに、終わりまで好きな曲であり続けてくれた。朝まで酒屋で飲んでいた人たちが店じまいの時にみんな一緒になって歌っているような、終わりを感じさせるしんみりとした調子を持ちながらも、ただ哀しいだけではない趣がある。曲が終わった時の感覚は、エンドロールを終えて映画館が明るくなっていく感覚に少し似ている。『Michelle』の方ははじめ『Rubber Soul』の一部でしかなく、まだ僕の中で名詞化されていなかったのだが、曲半ばぐらいの「I love you...」が聞こえてきた瞬間から『Michelle』になった。せっかくなので我らが国内盤の解説を読んでみたのだが、どうやら歌詞は中々難解であるらしい。しかし、この際それは関係ないだろう。『Michelle』は僕の中では、遠くにいる愛しいひとのことを歌った曲だということになっている。ミッシェルという名のその人はきっと、遠い思い出の中に住んでいるのだ。そして今や手の届かないその思い出のミッシェルに向けて、情熱を押し殺した切実な「I love you」が溢れる。僕にとっての『Michelle』はそういう曲だ。

 

 実を言うと、ビートルズに関してはおそらく知らない曲の方が多い。本と同じで、何か一つを聴けば他の何かが聴きたくなる。それを繰り返すうちに全く違う場所に辿り着くこともあれば、一つの場所に永く留まり続けることもある。ぐるぐる回ったあげく元の場所に帰ってきてしまうようなこともある。そんなわけだから僕の歩みはあんまり遅い。どうやら「お勉強」はまだまだ続くらしい。

 

 

安部公房 『砂の女』


 友人からの強い勧めがあってつい最近、安部公房の『砂の女』を読んだ。人から物を勧められるということがどうにも苦手な性分なのだが、こと本に関しては普段は締め切られている窓にも僅かな隙間が生まれるらしい。物語そのものへの興味というよりは、それを好む人間性への好奇なのだろう。

 

 「読みやすさ」ということが強い賞賛の意味で用いられている場面をあまり目にしたことがない。「易さ」にはどうしても「平易」のニュアンスが含まれる。ところで、わざわざ文学などと「学」の字を貼り付けた分野の中では「平易」は真っ先にその窪みの淵へと追いやられるもの一つだ。

 しかし如何に難解な文章を孕んでいようと、名作と評される作品にはある種の「読みやすさ」が膜を張っている。それは語彙と構成の美麗に依ることもあれば、物語そのものへの没頭に依ることもある。あるいは散りばめられた知識の上質に依ることもある。ともすれば雑談めいた調子で時おり行間に顔を出す知識への感心が、紙上でぼやけかけた焦点をつと引き戻す。不規則に練り込まれた知の残滓が物語への注意の糸を簡単には断ち切らせない。そうして少しするとまたページが進んでいる。中にはそういう「読みやすさ」もある。

 『砂の女』を読んで初めに驚かされたのがこうした知の満足の多さだ。それは概要としての教養ではなく、環境から摂取し続けたのであろう学識の豊満を示している。

 

 例えばだが、私は小説にも文理の別があるように思う。つまり文系的な小説と理系的な小説があると思っている。前者が精緻な心理描写や鋭角な観察に支えられて共感や味わいを増幅させていく一方、後者は知識の掲示や発見、想像の自由によって好奇と面白さを誘う。無論両者が綺麗に線引きされているわけではい。その境界は太く、そこでは常に両者が重なり、混じり合い、一方は常に他方への延長の可能性を潜ませている。

 私が「学識の豊満」という言葉で意味したいのは概ねこの「理系的」な領域に含まれる面白さのことだ。『砂の女』に主題として描かれる内容はもっぱら人生的なものであるが、それはそれとして散りばめられた知識の潤沢には「読みやすさ」へと通ずる面白さがある。

 

 安部公房という人物は東京大学医学部を卒業した作家であるらしい。今作のほか、『他人の顔』や『笑う月』などの作品は何度か古本屋で見かけたことがあり、その粗筋もぼんやりと知っていたため、初めどことなく精神分析学的な気風を印象として抱いていた。その印象は一応は遠からず、といったところであったようで、『砂の女』では冒頭からエディプス・コンプレックスのような聞き馴染みのある単語が、昆虫収集癖と精神的欠陥との関連性の語りの中で登場している。しかしあくまでそれは幅を持った知識の断片に過ぎなかったらしく、もう少しページを進めれば鞘翅目に関する幾つかの事実が語られ、それを皮切りに「砂」の物質的定義とその直径の均一性に関する流体力学の観点からの解説、さらには砂の流動性に対する主人公の哲学が生き生きと続けられる。それも僅か文庫本15ページ弱の間にである。過度に専門的でない言葉によって、私たちの興味を惹きつける内容が最も興味を惹きつけやすい平易さでもって挟み込まれる。

 冒頭のみならず『砂の女』全体についてこれと同じことが言える。擬死体発作、紙の家、結核患者の色情狂、蛾の趨向性…。枕詞のように何気なく挟まれるものだから、逆にそれが付け焼き刃の知識ではないのだと伺えてしまう。記事冒頭に書いたような知識の面白さが次の行を自然と追わせてゆく。それは単なる文才だけでは踏み込めない領域に属するものだ。

 

 ここまで長々と書いたが、これらはあくまで『砂の女』の表面的な面白さ留まっているように思う。文学として見るならやはりその文体や独特の言葉遣い、比喩表現は無視できないものである。また、内容としてもそこで描き出されている生の不完全は、その描き出され方がメタ的視点の中で機械的、純粋模写的に見えてくるだけに一層核心に迫っている。

 表現、ということに関して言うなら、正直その半分の意図すら正しく了解できた自信はない。度々思い出したように登場する「青酸カリ」がそれぞれの場面で何を暗示しているのだろうかとか、なるほど精神分析らしく登場する夢の内容は前後場面との表面的な繋がりだけで解釈して十分なのだろうかとか、そういった事柄一つ一つに深入りしてゆくには読みの量も深さも到底今回の読書では足りていない。また、その文体も独特だ。時おりコマが飛んだフィルムのように脈絡なく情景が切り替わる箇所がある。直前に描かれた景色のニュアンスを唐突に限定的な描写に置き換えているよう思われる部分もあれば、思考の中で論理を追い越して結論が直覚されたり、鮮烈な印象がはじめに飛び込んできて、後からその理屈が秩序づけられるときの順序の転換のようなものを何か表現しているように思える部分もある。しかし、実際にそこで用いられている単語の関係性には相応の深さがあるのではないか。脈絡なく思える単語の組み合わせにも、先述したような知識の豊潤を以てすれば明確な糸を見ることができるのかもしれない。

 

 内容、ということに関してなら、知識の観点のみからすれば、太刀打ちするために必要な量がいくらか減る分とっつきやすいかもしれない。主人公の男は、人間の無力と鬱蒼たる世の淡白を諦観混じりに受け入れている人物だ。理不尽な部落の監禁には腹を立てるが、一方で逃げ帰る先の日常にやりがいを感じている訳ではない。「灰色の種属」という表現が妙に印象に残っている。彼らは他人が灰色以外の色をしているとたまらない自己嫌悪に陥るのだと言う。私たちは基本的に傷つける機会を探し合っている生き物だ。そのことに無自覚たる醜悪もたまにある。他人が欲しがるものになろうとして互いに着飾り合う。本当は裸であると、自分だけは必ず分かる透明な衣服でどこまでも着飾り合う。相手に裸を見透かされることを恐れ、相手の錯覚を確かめるためだけに必要以上に見せびらかす。この不毛な輪廻を終わらせるのは本来受ける道理もない屈辱の従順な甘受のみだ。ひとたびそれをやめてしまえばまた輪の中へ戻るしかない。呆れた従順を延々と繰り返すか、虚しい誇張を互いに見せ続けるしかない。

 『砂の女』では、主人公はとうとう日常の中に住処を見つけることができなかった。部落から逃げ出す絶好の機会の只中にいながら、男は自ら穴の中へと帰る。穴の底で動いた影の先に、溜水装置がなかったとしたら、男は穴に戻らずに済んだだろうか。男は見るべくして見ている。影の先に装置があったのは、偶然ではない。何より、砂穴からの脱走ははじめから手段ではないのだ。逃げた先の日常に意味が見出せないのなら何のための脱走だろう。失踪からの7年、その大半は物語の中では語られていない。しかしおそらくその7年の間、男は部落に留まり続けたのだろうと十分に予感させるものがある。

 男の辿る結末が幸か不幸かとか、男なりの納得とか、そういう話を始めたのではあまりに安い。少なくとも男は満たされていない。部落に留まり続けただろうと書いたが、その7年間が男を満足させるものであったとは到底思えない。休暇を謎めかせたときの男の満ち足らなさは7年間男と共にあり続けただろう。あるいは男は、あの不合理な従順の重しをぶら下げるくらいにはなったかもしれないが、それにしたって同じことだ。男は砂の流動に魅せられる。単に留まらない姿に惹かれたわけではないと思う。留まらない存在であり続けたところで、何一つ満たされないことを男は直感している。男が本当に惹かれたのは、ただその流動の無為たるがゆえではないだろうか。絶対無的な境界の消失、涅槃的とさえ言える「ただの」漂流、意味からニュアンスを限りなく剥奪し続けた先の自己の現象化、砂の流動はそれらの象徴であったのではないか。男は「どこか」を求め続けている。「どこか」は「ここ」ではないことだけは分かっている。「どこか」がどこであるのかは分からない。どこまで行っても「どこか」であり続ける。だからどこまで行っても満ち足りることはないのだと知っている。基本姿勢としての不完全。私たちと、世界と、どこが違うだろう。『砂の女』は何も得意顔になってその不完全を暴き出しているわけではない。そんな程度のことは超越した先で、ただ機械的に、鏡面的に、そういうものとしての世界をそういうものたる世界として写している。如何に慎重に言葉を選んでも、テーゼ化した瞬間に価値が失われてしまうからこそいっそう純粋写実的に、生の不完全の投影が行われている。

 

 世界に対する努力という点にかけて、男はおよそ脱力的だ。「どこか」の不在を知って、その不在に対する絶望とか悲観とか諦観とか、そういうものを排した先で、ただ現象的に流動する砂の在り方に魅せられる。男は砂にはなれなかったが、与えられたまま、与えられたままに呼吸するという適解へと至る。そこに幸とか不幸の観念はない。それゆえに「男なりの」など語るのは些か浅い。俯いた受動、溜息の呼吸、男は砂になりたい。『砂の女』は同時に『砂の男』でもある。しかし、あの「砂の女」こそ、男が本当に憧れた姿なのだ。考える回路も、能力もない。留まる理由もないのに砂穴の家に暮らし続け、「愛郷精神」を鵜呑みにしながら鵜呑みにしていることを自覚することすらできない。それは男にとって甚だ理解不能であるが、そもそも「解する」ことが必要ない程度の思考しか、「考」の字を使うことすら憚られるような程度の思考しか女は持たない。「砂の女」はラジオと鏡しか持たない。女はまさしく砂なのだ。男はどうやっても砂にはなれない。それを知る私も、砂にはなれない。