隅家

本とか音楽とか

ヒトリエ

 あんまり寝れなかったものだから夜中の3時にウォークマンの電源を入れて音楽を聴いていたらいつの間にか朝7時になっていた。はじめは最近購入したIndigo la EndのアルバムとCrosby, Stills & NashのGreatest Hits(こちらは先週発見したレコードショップで見つけた掘り出し物だ)を順々に聴いていたのだが、ふと邦楽のプレイリストをまとめていなかったことを思い出してこれまで聴いた邦楽の中でも特別好きなものたちを一つにまとめる作業に没頭していた。現在CDを購入してウォークマンに取り込んでいる分だけでも2000曲ほどあるのでこれには中々骨が折れたが、途中途中吟味を交えつつプレイリストをまとめていく内に懐かしい曲たちとも再会ししばし思い出に浸ることができた。

 

 ヒトリエというバンドはおそらく思春期の延長の鬱の最中にあったかつての僕を支え続けてくれたバンドの一つだ。正直その時期に盲目的に聴きすぎたせいか最近ではあまり聴かなくなっていたのだけれど、こうして振り返ってみるとやはり良いものは良いし、好きなものは好きらしい。

 「ワンミーツハー」という曲が僕とヒトリエとの出会いの曲になる。当時流行り出していたハイトーン系のヴォーカルをさらに一段上へと引き上げたところに、摂取過多気味に技巧的なフレーズを織り交ぜてとにかくお洒落カッコイイ感を出したバンド、というのが「ワンミーツハー」を聴いて抱いたヒトリエの第一印象だ。正直何言っているのか初見ではとても分からない歌詞も相まって異常に尖ったバンドとしてヒトリエは認識されたわけだが、一方でこの「ワンミーツハー」自体は当時の僕の性癖にしっかり突き刺さり定期的にリピートされることになる。

 

 次にヒトリエに出会ったのはそれからしばらく経ったのちのことだ。そして、その日は僕が本格的にヒトリエにハマった日でもある。場所がブックオフであったのは間違いないが、制服を着ていた記憶もあるから学校がある日だったのだと思う。まったく恥ずかしい話なのだが、当時の僕には異常な寝坊癖があり(おかげで身長は随分伸びた)、そこに担任の類い稀ない無頓着が合わさることで、昼休みから登校することがなぜか暗黙に了解されている時期が存在した。そんな日の中途半端に空いた午前の時間を潰す場所は大体駅前のマクドナルドかブックオフに限られていて、詰まるところヒトリエの「リトルクライベイビー」ともそこで出会ったのだった。

 これは後になって知ることだが、当時のヒトリエはアルバム『IKI』をリリースしたばかりの頃で、その宣伝の意味合いか、ブックオフ店内で新曲「リトルクライベイビー」が流れていたらしい。僕はどこへ行くにも基本的にイヤホンをしていて、外出時間の9割は周囲の音から切り離されていたから、この時僕の耳が「リトルクライベイビー」を捉えたのは今思えば結構な奇跡である。聴こえてきてからすぐにいい曲だと思い、必死に耳を澄まして聞こえてきた歌詞をスマホ検索エンジンに打ち込むことで漸く曲名に辿り着いた。「ワンミーツハー」の段階ではヒトリエは個体認識されていなかったのだが、この「リトルクライベイビー」もまたヒトリエの曲で、しかも新曲ということを知り、いよいよ僕も自らヒトリエというバンドに触れていこうという気になったのである。それだけに「リトルクライベイビー」は僕にとって本当の意味での出会いの曲であり、いつまでも大切な一曲だ。

 

 それからいっぱしのヒトリエファンになるまでは1ヶ月とかからなかったと思う。YouTubeにあがっていたアルバムトレーラーなどを聴きながら好きな曲を増やしていき、ついでに当時の僕からすれば非常な大枚と勇気をはたいて、たった1人で『IKI』のライブにも申し込んだ。ヒトリエのヴォーカルがボーカロイド界隈で有名だったwowakaであるということを知ったのもその時期である。

 

 少し脱線するが、僕ほど雑食な音楽好きもそういないのではないかと思っている。ウォークマンを開けばビートルズのアルバム『1』にヒトリエのアルバム『4』が続き、さらにビリージョエルの『52nd Street』、サカナクションの『834.194』、Guianoの『A』、Abhi The Nomadの『Abhi vs The Universe』、U2の『Achtung Baby』と続いていく。いま挙げたアーティストのジャンルだけでも両立している人は少なそうだが(僕はこれらを等しく愛している)、さらにスライドしていけばモダンジャズやクラシック、フォークロックにEDM、挙句映画やゲームのサウンドトラックにfuture bassのアルバムまで出てくるのだから、これはもう雑食代表を名乗る驕りも許されるというものだろう。

 してみるとボーカロイドというジャンルも当然僕の守備範囲内なわけだ。とは言え、はじめからこのジャンルが好きだったのでないことは正直に言っておかねばならない。むしろ僕はその機械音声ゆえにボーカロイドというジャンルを嫌悪していた。打ち込みだからこそ通常の演奏ではとて出来ないような技巧的なフレーズを入れ込んだり、息継ぎの無茶苦茶なメロディーを可能にしたりするのだ、という魅力に気づいたのはずっと後になってからである。今では、インターネットを温床としながら生まれたボーカロイド界隈の曲の歌詞やサウンドには独特のものがあると感じるし、その魅力の程は米津玄師やYOASOBIが日本の音楽シーンを一時席巻した事実が証明していると思う。

 

 大分話が脇道にそれたが、とにかく当時の僕はボーカロイドというものが好きではなかった。その頃身近にボーカロイドをよく聴く人がいて、ノイローゼ気味に聴かされたおかげでこの「嫌い」には余計拍車がかかったのだが、一方で、散々聴かされた中で少しは好きな曲があったのも事実である。そういうわけで僕がほぼ唯一と言っていいレベルで認めていたボーカロイドの楽曲が、「天ノ弱」と「ワールズエンド・ダンスホール」であった。

 さて、ヒトリエにハマる中でそのヴォーカルが元ボーカロイドPのwowakaであることを知ったことまでは書いた。僕は昔聴いたボーカロイドの楽曲の制作者の名前なんて覚えていなかったが、wowakaの名前まで辿り着けば半ば自動的に「ワールズエンド・ダンスホール」にも辿り着く。この時に僕の中にあった2つの好きが交わったのだった。それからのヒトリエへのハマり様は、実際に行ってきた『IKI』のライブツアーの影響も大いにあってそれは凄まじいものだった。

 

 折角だからライブの話をしておこう。楽しみにしていたライブであったが、滅多に行くことのない東京新宿へとたった一人で電車を乗り継ぎ、人生初のライブハウスに足を踏み入れる当日の僕の心細さは我ながら不憫なほどであった。会場に着いてからもステージ前の人だかりには萎縮するわ、半ばパニックになってワンドリンクの意味が分からなくなるわでそれはもう大変だった記憶がある。なんとか会場後方の階段上だっただろうか、小高いエリアを陣取ることはできたものの(人の量に萎縮して後ろの方になってしまったが、ほぼど真ん中の、遮られることなく舞台が直視できる位置だったのでこれには満足している)、場所が取れてホッとしたのも束の間、手に持っていたドリンクを右隣の女性の足元へ結構な勢いでぶちまけた時には危うく涙まで溢れそうになった。露骨に迷惑がる女性に謝りながら反対隣の男性に「何かティッシュとか拭くもの持ってないですか」と半泣きで縋ったことは多分一生忘れない。一緒になって床を拭いてくれた優しい彼にどうか幸あれ。

 そんなこんなで折角のライブを目前に心を俯けてしまった僕だったが、ひとたびライブが始まるとすぐにその音の中に呑み込まれた。怖いぐらいに腹の底に響くドラムの音と、爆音と称するに相応しいライブハウスの反響にもほんの一瞬で慣れてしまい、いつの間にか僕はカラダを失って何かその辺を漂う意識になっているのだった。知っている曲の歌詞を頭の中で再生しながら、距離近いなとか、ベースの人全然喋らんなとか、なぜかそんなようなことをぼんやり考えていた。「リトルクライベイビー」も最高だったけれど、その時に初めて聴いた「カラノワレモノ」はどうしたって泣きたくなるぐらい沁みた。僕のすぐ前だか後ろだかに光線を出す機械みたいなのがあって、そこから出ていた緑の光をよく覚えている。今でも「カラノワレモノ」を聴くとあの緑の光線が見える時がある。僕は淋しいのに淋しいと分からない高校生で、だからヒトリエが好きだったのだと思う。MCの時にwowakaさんが言っていたことを何となく覚えている。「みんな俺と同じなんだなって、愛されたいんだなって」、みたいな内容だった。別に愛されたいとかじゃないって思ったけど、今思えば僕はやっぱり愛されたかっただけだ。

 

 当時好んで聴いていた曲を挙げ出すとキリがない。シャッタードール、トーキーダンス、深夜0時、ボートマン、バスタブと夢遊、アンチテーゼ・ジャンクガール、サブリミナル・ワンステップ、アレとコレと女の子、輪郭、フユノ、後天症のバックビート、インパーフェクション、イヴステッパー、終着点、ゴーストロール、N/A、MIRROR、アイマイ・アンドミー、なぜなぜ、NONSENSE、るらるら、5カウントハロー、センスレス・ワンダー、sister judy→モンタージュガール、、、。ほぼ全曲を最低でも20回ずつは聴いていたはずだ。特別のお気に入りは3桁を超えるぐらい聴いていたと思う。

 当時は「癖になる後ろ向きなカッコよさ」に惹かれてヒトリエを聴いていたからメロディーにばかり目がいってしまっていたけど、今振り返ってみると意外としんみりした曲の方が好きだったりする。「SLEEPWALK」が発表された時には流石にシビれてもうずっと聴いていた。一時期は「SLEEPWALK」と「RIVER FOG, CHOCOLATE BUTTERFLY」で一生ループしていた気がする。「SLEEPWALK」、というか、アルバム『HOWLS』はヒトリエの新天地を見せてくれたと思う。そこには何か今までにない音楽性のようなものが感じられた。疾走感と音の細やかさ、どこかスレたメロディーと歌詞、そうして形作られたカッコよさをほんの少しだけ離れて、孤独への寄り添いのような愛と哀しさが込められていたように思う。ヒトリエは進化し続けていた。僕はもっとその音楽が聴きたかった。

 僕の趣味も昔とはかなり変わって、今では「青」や「目眩」、「SLEEPWALK」なんかがお気に入りだ。もちろん「リトルクライベイビー」もよく聴いているし、「ボートマン」や「ゴーストロール」はギターが好きすぎてたまに無性に聴きたくなる。ただやっぱり昔より聴く回数は減った。ヒトリエは僕の中で思い出に変わろうとしているのかもしれない。しかしどれだけ聴く回数が減ろうと昔と同じように僕がヒトリエを愛することに変わりはないだろう。

 

 あくる四月には少し泣いた。けれど夜にはちゃんと眠れた。なぜだか今思う方が泣けてくる。どこか後ろ向きな曲が多いヒトリエだが、たまに、本当にたまに、明るさとポジティブに振り切ったような曲を出すことがあった。思えば「リトルクライベイビー」もその手の曲だったわけだが、同じようにプラスに振り抜いた曲に「ポラリス」という曲がある。

「忘れられるはずもないけど 君の声を聞かせてほしくて」

 どうにも別れの曲に聴こえてしまうのはあんまり感情を乗せすぎだろうか。同じく「ポラリス」の歌詞の中に僕がヒトリエの中で一番好きな歌詞がある。折角だから結びに代えさせてもらおう。

 

「出会いの数は1つで良い。君がそこにいさえすればいい。」