隅家

本とか音楽とか

Neil Young『After the Gold Rush』

 

 いくつか記事を書いたが、おそらく僕の記事に最も多く登場した名前がニール・ヤングだと思う。名を出した回数は間違いなく好意の量に正比例しているはずだが、実を言うとニール・ヤングについて僕はそれほど詳しくはない。どんな生涯を送ったかは勿論知らないし、その曲についてもたぶん半分も知らないと思う。正直に言うと顔でさえ『Comes A Time』のアルバムを買ってそのジャケットを見るまで知らなかったぐらいだ。作品と作者は切り離すべきだという信念はたしかに僕が奉じているところではあるが、それすらおそらく後付けだろう。結局良い作品というのはそれだけで良い。だからどんな人間がそれを創ったかなんて僕はいつも気にならないし、むしろ何も知らずに勝手にこっちの空想を押しつけておく方が楽しいような気もする。

 しかしそれはともかくとして、僕はニール・ヤングという人物のことは好きらしい。少なくともアルバム『After the Gold Rush』は珠玉の冠を戴くに相応しい名盤だ。

 

 これを書くのも一度目ではないと思うのだが、そもそも僕とニール・ヤングの出会いはCrosby Stills Nash&Youngのアルバム『Deja Vu』においてだった。最後のYoungというのがニール・ヤングのことだ。はじめに作品と作者は〜という話をした手前、これはかなり言いづらいのだが、この『Deja Vu』に収録されている僕の最大のお気に入り、『Helpless』が、どうやらニール・ヤングの手になるものらしかった。そういうわけで、以来レコードショップに行くたびに僕はニール・ヤングの名を探すようになり、要するに『After the Gold Rush』と出会ったのもまた、そうした経緯を踏まえてのことだった。迷わず購入を決め、帰って早速相棒のウォークマンに取り込んで聴いていたのが今から1ヶ月か2ヶ月前の話だ。それからというもの、ウォークマンを開いて『After the Gold Rush』の再生ボタンに指が伸びないことは殆どない。

 

 なぜそんなに好きなのかということは上手く表現できる気がしない。敢えて言うなら『After the Gold Rush』にあるのは郷愁の音色だ。懐古の味は何故だかいつも酔うほど甘い。『After the Gold Rush』は僕を、目の前の世界よりも美しい記憶の世界へと連れて行ってくれる。ニールヤングの郷に何が広がっていたのかは果たして知らないが、それはおそらく僕の郷でもある。田んぼとか風とか雲の音があって、一瞬懐かしいような気がする。けれどそれらは水面に写った景色の音で「ゴールドラッシュのあと」となってはどうしたって少し寂しい。僕はいつも新緑のような哀しさをこのアルバムに感じる。

 上手く言葉にならないから代わりに『After the Gold Rush』の話をしよう。別に謎々ではない。『After the Gold Rush』はアルバム名である以前に曲名でもある。アルバムの2曲目に収録されている曲こそがアルバム名のまさに由来である『After the Gold Rush』となっている。それなりに多くこのアルバムを聴き込んできたが、なぜこの1曲が、アルバムを代表するこの1曲が、全体の2番目に置かれているのかということが未だに僕の中にある疑問だ。聴いてみると分かるが『After the Gold Rush』は明らかに終わりの曲である。イントロのピアノから既に若干の物悲しさが醸されている。尤もそれは悲哀というよりは、寂しさと微笑を足してそのまま割らないでおいたような音色ではあるのだが、しかし仮にアルバムの最後にこの曲が流れてそのまま終わりと言われても納得がいくような曲調ではある。少なくとも、もし僕がこのアルバムの曲たちを自由に配列していいと言われたらまず間違いなくこの曲を全体の2番目には置かないと思う。表題曲にするほどなら尚更だ。

 たしかに、アルバム『After the Gold Rush』はそれ自体、なにか終わりの雰囲気を感じさせる調子の曲が多く収録されているから、そうした空気感全てを象徴させる1曲として、これを始めの方に持ってきているという解釈はアリだと思う。というか、まさにその解釈が僕が色々と考えて出したとりあえずの結論でもある。正直1曲目の『Tell Me Why』が終わって『After the Gold Rush』が始まる瞬間にはいつも多少の驚きがある。『Tell Me Why』がアルバム始めの1曲として優しく、聴き心地が良いだけに、最後のアコースティックギター(?)の僅かな余韻の後で『After the Gold Rush』のイントロのピアノが流れ出した時には、今開いた世界がもう閉じようとしているかのようで、思わずランダム再生でもしているんじゃないかと疑ってしまうほどだ。

 結局、2曲目『After the Gold Rush』の良さはアルバム全てを聴き終わってから分かるのかもしれない。大仰な表現をすると、アルバム『After the Gold Rush』は終わりの曲と始まりの曲が交互に繰り返されることで構成されている。聴いていて何度も「あ、この曲で最後か」と思わされる。しかしその次には「いや、これから始まるのだ」と言わんばかりの曲が流れ出す。そうやって繰り返して進むごとにそれぞれの曲が切ない思い出と楽しい明日の色彩を併せ持つようになってくる。そうやって前後ろが溶け合ったあとで「ゴールドラッシュのあと」さえ僕は振り返って眺めている。それはたしかに少し、光を放っている。

 尤も、実際はアルバムの曲順に大した意味はないのかもしれない。そもそも僕は歌詞の9割も理解していないし、はじめにも言ったようにニール・ヤングのことは殆ど知らない。ついでに言うなら当時の洋楽シーンの慣習なんかも知らないし、だから案外アルバムの曲順に深い理由はないのかもしれない。しかし何も知らないからこそ、聞こえてくる音だけであれこれと空想してみるのはこれで結構楽しかったりもする。少なくとも、僕にとっての『After the Gold Rush』は僕だけのものでもいい。

 

 本当に名曲ぞろいのアルバムだが、よく印象に残っている曲が8曲目の『Birds』だ。例に漏れず歌詞の意味はあまり分かっていないのだが、印象的に響く「It's over...」には無性に胸が狭くなる。いつかは今日の僕さえも過ぎ去った過去になる。そのとき懐古は、変わらず美しいだろうか。いつかの僕が振り返る今日の僕が、せめて美しくあればいいと思う。