隅家

本とか音楽とか

リルケ 『マルテの手記』

 とっくの昔に死んだ作家の本を読むことが多い。これは完全な偏見だが、時の洗練を受けてなお残ってきた文学というものには、まさにそのことのゆえに、一定の価値が備わっているように思うからだ。現代作家に明るくない人間を果たして読書家と呼べるのかはさておき、こうした読書癖には少なくとも一つ利点がある。それは、長らく評価され版を重ねてきた作品は古本屋に並びやすいという事実である。

 『マルテの手記』は前々から読みたいと思っていた作品の一つだったのだが、先日古本市に出掛けた際に150円で売られていたのを見てついに購入した。カバーは汚れていたが、いつも外して読む自分からすればもはや関係のない話だし、年季を経てややざらついた紙の感触はむしろ本としての価値を高めてさえいる。とっくに死んだ作家の文章は目に痛い白の中ではなく、やつれた黄ばみの中でこそ輝くものだろう。少なくとも、『マルテの手記』のような作品を自分と同い年の紙では読みたくないというものだ。

 

 リルケという人物については全く詳しくない。『マルテの手記』読了後、解説を読んで多少はその生涯を知ったものの、本作品を読んでいた最中にリルケについて持っていた知識は、せいぜいオーストリアの詩人、といった程度の知識である。詩人である以上、その本領はまとまった物語としての作品よりも詩集等により色濃く表れるのかもしれないが、一方で、リルケの名を知る人の大多数が真っ先に思い浮かべる作品はやはり『マルテの手記』ではないだろうか。少なくとも私は『マルテの手記』以外ににリルケの作品の名を挙げられないし、言ってしまえば、リルケと『マルテの手記』はコインの裏表のように私の中で一体化している。そしてその認識は実際そこまで実像から離れてもいないのではないだろうか。少なくとも私は、『マルテの手記』という作品を通して、とっくの昔に生まれて、今から約100年前に死んだリルケという人物に触れたような気がした。加えてその印象について語っておくなら、リルケ、そして『マルテの手記』は私好みだ。そこで描き出されているテーマにしてもそうであるし、邦訳から伝えられる(原語で読めないことがいっそう悔やまれる)語彙の巧みさ、文章表現の深遠をとってもそうである。

 

 「手記」の形容に相応しく、『マルテの手記』という作品には一本化されたシナリオというものが存在しない。パリで暮らす青年マルテの言い知れぬ孤独を滲ませた日常、時系列のばらばらな過去の追想、ふとした記述を端緒に語られる、美術品やはるか昔を生きた人物に対する独特な解釈、そしてそれら全体を貫いて節々で挟まれるおよそ観念的な物事に対する洞察、こうしたものたちが『マルテの手記』の構成要素である。文章作品の楽しみ方は十色であって良いと思うが、こと『マルテの手記』に関していうなら、物語の展開を楽しもうとするだけの姿勢ではちょっと作品を味わいきれない印象を受ける。どうしても時代の違い、風土の違い、伝統の違い、あるいは言語の違いが妨げとなって理解しきれない部分が目立つが、それらは決してアポリア的な難題ではなく、理解しきれなくともなお紐解く価値のあるエッセンスである筈だ。様々の言葉遣いや、文章が間接的に表象するテーマの深みの中に『マルテの手記』の真価があるように思う。

 

 私は文章を読む遅さに少し自信がある。どうにも物事の筋道を線で捉えるということが苦手らしく、要点をかいつまみながら、展開の濃い部分は集中して読む、という要領の良い読み方ができない。全体から見れば不要な細部に必要以上にこだわり、何気ないと呼んで差し支えない表現でいちいち足踏みしてしまう。文庫本のページを一枚捲るまでに何分もかけてしまうようなこともしばしばである。 

 『マルテの手記』に関して言うなら、これまで読んだ本の中でもかなり上位に入るくらい読み切るのに時間がかかった。おそらく、ほぼ全ての文章を2回ずつは読んだのではないだろうか。訳が幾分古かったことから見慣れない語彙が多かったこともあるが、それ以上に一つ一つの文章が意味するところを明確に解するのに時間がかかった、ということもある。折角だから今手元で開いた箇所から引用してみよう。

 

 空気の一つ一つの成分の中には確かにある恐ろしいものが潜んでいる。呼吸するたびに、それが透明な空気といっしょに吸いこまれ——吸いこまれたものは体の中に沈澱し、凝固し、器官と器官の間に鋭角な幾何学的図形のようなものを作ってゆくらしい。刑場や拷問部屋や癲狂院や手術室など、あるいはまた晩秋の橋桁の下などから醸された苦痛な恐怖感は、あくまで執拗にまといつき、どこまでもしみこみ、すべての存在を嫉妬するかのように、その恐ろしい現実に執着して離れない。しかし、人間は、できるだけそんなものを早く忘れてしまいたいのだ。(大山定一訳『マルテの手記』(新潮社,1973))

 

 別にここに引用した箇所に特別のこだわりは一切ない。好きな箇所なら他にいくらでもある。しかし、『マルテの手記』の語調を伝える目的の上ではこれ程何気ない方がむしろ良いだろう。

 「透明な」の形容は「ある恐ろしいもの」の「潜伏」に呼応している。「沈澱」や「器官」の訳ははじめの「成分」の表現から考えて敢えて文全体に化学的な気質を与えるためだろう。「ある恐ろしいもの」の身体への侵入が客観的なプロセスとして語られるわけである。しかし何か漠然とした恐怖感が体の内に蓄積し自身を苛む感覚を、器官と器官の間に凝固した「鋭角な幾何学的図形」の語で続けて表現している点は見過ごせない。続く箇所の、刑場〜手術室は直接的に死や苦痛を連想させる語であるが、最後の「晩秋の橋桁の下」は終わりというものと、終わりゆくことへの痛ましい恐怖感をもっと観念的に連想させてくる。それらが自らのうちに巣食って離れない感覚を「すべての存在への嫉妬」として喩えている点が結構好みだ。ある苦痛な感覚が意志をもってこちらの意識にしがみついて離れようとしない感じを否定的なニュアンスを含ませながら表現したい時に、「すべての存在に嫉妬しているようだ」とはちょっと思いつかない。

 こうした、表現や単語の組み合わせの妙が訳特有の堅さの中で折り挟まれ、時にそれらがひどく観念的な物事について遠回しに言及しながら、一方で、ストーリーと呼べる明確な筋道も示されないものだから、中々読み進めていくのに時間がかかったというわけである。以下内容。

 

 『マルテの手記』を読み出して初めの数ページで、一度読むのを止めた。それはその数ページだけで『マルテの手記』に漂う死の雰囲気を多分に感じ取ったからである。前に何かの記事で書いた気がするが、私は物語の中に苦悩と死を大いに求める。我々に普遍に降りかかる死を直視し、その事態を考え抜いて初めて、何か意味のある芸術表現が湧き出てくるのではないかと思うからだ。死を見つめるということは生を見つめるということでもある。生が見つめられていない文章は、ただ空想の中でだけ価値を持つ娯楽だろう。

 とは言え、世に名作と評される作品の中では、死の気配を感じ取ることができないものの方が少ない。どれだけ押し殺されていようとも、ふとした文章の隅に虚無の気配は滲み出しているものである。その上でなお私が『マルテの手記』の冒頭から特別の印象を受けたのは、本来隙を見せた慎みの奥から静かにこちらを覗くべき死と孤独の気配が、しかしいっさい隠されようともされていなかったからである。自分が自分から遠く離れ、昏い、薄ら寒い底へと落ちてゆくような漠然とした生への不安、その足元に茫漠とした影を落とす絶対の死に対する恐怖、畏怖。死を恐れながらその偉大さに対して努めて敬礼したく思う気持ちと、もはやその尊厳さえ失われつつある機械化した生の型に対する隔絶、詰まるところの孤独。これらが僅か数ページの中で隠されることなくありありと描かれている。

 

 死と孤独は近いところにある。生は世界との関わりの中でしか完結され得ないが、死はただ自らの内だけで完結される。誰もが死の瞬間には自分とたった一人で向き合わなくてはいけない。そこでは支えにしてきた人も、応援してくれる人も何の意味もなさない。彼らは死の現場に立ち入ることを許されていない。そこに踏み込むことができるのは他でもない死の当事者だけだ。だから我々は死の瞬間、必然孤独になる。誰の力も借りずに、自分の力だけでそこに立って自分と向き合わなくてはいけない。

 

 人々は生きるためにこの都会へ集まって来るらしい。しかし、僕はむしろ、ここではみんなが死んでゆくとしか思えないのだ。

 

 『マルテの手記』 の書き出しの一文である。我々は明日を生きるために今日を生きる。しかしそれを続けた果てには何があるのだろうか。マルテの目には始めから、生きゆく者は死にゆく者として映っている。死にゆく者は本性的に孤独だ。マルテが見る世界では、誰もが世界から切り離され一人ぼっちになってゆく。「僕は恐ろしい」とマルテは語る。マルテが恐れているものは何であろう。いずれ死にゆくことが恐いのだろうか。それとも、自らが一人ぼっちでこの世界に投げ出されていることが恐いのだろうか。マルテが恐れているものの一つが生者であることは間違いない。本来個人の内的世界の中で下されるべき尊厳ある死が、外の世界に放り出されて処理されてゆく。人々はただ巨大な流れの中で生者としてのみ生き、やがて訪れる死を機械的に受け入れて死ぬ。彼らは専ら生きゆく者であって、死にゆく者としての顔を持たない。死はもはや「私」の出来事ではなくなって「世界」の出来事として一様化されている。マルテにはそれが不気味なのだ。

 無論、マルテが死を恐れていることも間違いはないだろう。彼はパリでいくつかの死を目にする。マルテは突発的な痙攣に襲われる老人を街で見かける。その老人は手に持っていた杖を背中に押し当てながら痛ましく、必死にその痙攣を隠そうとする。しかし押し殺した死の痙攣は老人の体のうちで膨れ上がり、ついには堰が壊れたように老人の体を激しく打ちゆらして彼を殺す。路上の真ん中で、世界に対して言い訳をしようとする努力も虚しく、死に全身を支配されて激しく痙攣し続ける老人の姿にマルテは打ちのめされる。

 

 それからはもう僕はどこへ歩いてゆく意味も失ってしまった。僕の体は空っぽみたいだった。

 

 今や死はこんな風にやって来るのだ。「昔はそうでなかった」とマルテは思う。「「死」をみんなが持っていたのだ」と思う。マルテが死に抱く感情はたんなる恐怖ではなく畏怖の類だ。死の瞬間、屹立してそれと向き合うことをマルテは望んでいる。マルテの祖父、老侍従ブリッゲの死は少なくともそういう死であった。義娘の死に追い出されるように死んでいった祖母フラウの死は、ついぞそれを叶えることができない死であった。父の心臓が穿たれる瞬間をマルテは目に焼き付け、お辞儀をした。母は考えることが苦手なりに、懸命に向き合おうとしていた。それでも時々、死の恐怖に押し潰されてしまうようだった。しかし、今マルテの目に映っている街は、生きるためにやって来る者たちに満ちた街は、誰も死と向き合わない街なのだ。路上の老人を唐突に死がうち捉えたように、じっくり向き合ういとますらなく死が降りかかる。そしてそのことに何の疑問も持たない生者の街の中で、マルテはいっそう孤独になってゆく。果ての孤独とは、如何なるものだろう。それは恐らく、自分自身さえも自分から離れてしまうという孤独だ。誰もが顔の見えない他人となり、そして自らさえも、素顔の分からぬ他人と化す。自分すら、他人。そういう孤独を、たしかにマルテは経験したことがあったのだ。始めは手だった。テーブルの下に落とした赤鉛筆を探る幼い日の自分の手が、自分を離れて動き出すのだった。次は鏡だった。仮面を着け、鏡に映った自らの姿が、その未知の存在が、自分という存在をなくしてしまう。「僕」は「僕」ではなく「彼」になり、消え失せた僕という存在がただ仮面の下で涙を流すのだった。

 

 初めにも書いたように、『マルテの手記』には雑多な過去の回想が詰め込まれている。しかしマルテの意識が自らの内側、すなわち自身の過去へと向かうことは必然のことなのだ。マルテは死を恐れる。それでも健気に死を見つめ返そうとし、過去を、生を見つめる。死にゆく者として生きるから、生者の街には居場所がない。自らを鼓舞するように死の恐怖に耐えながら、しかしついに耐えかねて夜半にベッドに起き上がる。

 

 生きることが大切だ。とにかく、生きることが何より大切だ。

 

 死の恐怖を前にして、マルテはいじらしく勇気を振り絞る子供のように無力で惨めだ。パリで暮らす孤独な青年作家の日々はどうしたって悲痛に映る。しかしそこでだけ、私はマルテと、リルケと通じ合える様な気がしている。楽しく生きていつの間にか死んでしまえるなら結構だろう。しかし考えてしまうというなら、それと向き合うしかない。微塵の優しさもない葛藤の中で、私たちは結局孤独な人種なのだろう。